山口県西部 下関・宇部エリア
二代 平野 教道 Hirano Kyoudo
偉大なる父、初代平野教道の作風を追及し
「情熱は炎 技は心」をテーマに創造する
生年月日 | 1956年2月7日 |
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出身地 | 山口県宇部市 |
所属 | 陶光会 萩陶芸家協会正会員 |
窯元名 | 塔陶山 |
開窯年 | 1971年 |
受賞歴 |
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所在地 | 〒755-0151 山口県宇部市西岐波899番地3(Googleマップ) |
電 話 | 0836-51-4228 |
交 通 | 山口宇部空港より車で15分、セントヒル病院より5分 |
駐車場 | 4台 |
展示場 | 有(茶陶と新作を中心とした2棟) |
H P |
東日本大震災の起きた秋、一通の手紙が届きました。それには、「津波で多くの家財を失ったが、大事にしていた教道先生(初代)の茶盌が見つかった。箱は流出したので箱書きが欲しい。」というものでした。更に綴ってある内容は、「この茶盌に出会って三十年、幾度となく挫折しかけたが、この茶盌には、その度に励まされ夢をもらいここまで来た。今回のことで何もかもいやになり自暴自棄になっていたが、茶盌を眺めて、また立ち上がる勇気が湧いてきた、生きる力をもらった。」とありました。何という作家冥利に尽きる言葉でしょう。初代が存命であれば、どんなに喜んだことでしょう。否、ほくそ笑んだことでしょう。
初代平野教道は豪放磊落、傍若無人、言行不一致等、こんな言葉の似合う人でした。そんな初代には熱狂ファンも多くおりましたが酒も好きでしたので友人たちと夜を明かしていました。私は、そんな初代を遠目に眺めていました。しかし、作家としては素晴らしい才能の持ち主でありました。その性格のままの作風は私には羨望でもありました。そして、いつかは平野教道を継ごうと決めていました。おりしも初代の七回忌と私の還暦も近いこともあってこの機だと思い二代平野教道を名乗りました。いざ、この初代に近寄ってみると、大きい大きいまるで大木です。そして、年を重ねるごとに、益々、巨木になるのです。
初代は齢八十で没しました。果たして私は二十年でこの巨木のてっぺんに登り切ることができるのであろうかと、日々精進を誓っています。