山口県西部 下関・宇部エリア
森野 清和 Morino Kiyokazu
素材の特性を最大限に生かす
技法と感性で土を操る
生年月日 | 1949年8月11日 |
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出身地 | 山口県下関市 |
所属 | 萩陶芸家協会正会員 |
窯元名 | 黄孫窯 |
開窯年 | 1977年 |
受賞歴 |
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所在地 | 〒759-6301 山口県下関市豊浦町大字川棚3930(Googleマップ) |
電 話 | 0837-74-2468 |
交 通 | JR川棚温泉駅より1.6㎞ |
駐車場 | 8台 |
展示場 | 有 |
H P |
川棚温泉からほど近い森野清和の黄孫窯は、天を仰ぎ豊かに生い茂った公孫樹がシンボルです。
二十歳の時、三輪龍作の「ハイヒール」に出合った瞬間、茶陶に捕われない作品にとても感動し、陶芸が身近に感じられました。その後、沖縄のやきもの、ズシガメ(骨壺)を知り大らかで、存在感のあるズシガメを作っている場所に行ってみたい、そこで働こうと沖縄に行きました。
どこの工房と決めず、沖縄について捜そうと考えていたのでまず、壺屋の島袋常恵、常秀親子の工房を訪ねたのです。
縁あってそこで三年間仕事に従事しました。沖縄では土を採り、水簸(すいひ)、天日干しをして足で練り、出来た粘土を蹴りロクロでつくる仕事が残っており、陶芸においての原点になりました。
沖縄は中国、朝鮮、東南アジアの国々そして日本との交易を通じて独自の文化を築いていました。やきものもその一つです。ここは日本ではないと感じました。
彼がいたのは一九七三年、復帰後まもなくの頃です。琉球陶器のおおらかさときびしさ、そして人々の優しさを生活と仕事を通して体感しました。
土を採りに行くと、とても色っぽい土やおいしそうな土に出合います。土を作り手の意のままに扱うのではなく、その土が持っている良さを感じながら形にすることが魅力と考える森野清和は、何よりも土が好きな陶芸家と言えるでしょう。
彼が作品を創ることは、人と土(素材)との対話から生まれ「山茶碗」も「種の記憶」も同じ「もの(OBJECT)」なのです。